我が家の長女は2008年生まれ、現在小学4年生です。
長女は小学1年生から不登校。
不登校になってから今まで本当に色々とありました。
今では『不登校を受け入れている良い母』に見えるかもしれない私ですが、登校しぶりが酷かった時期はブチ切れまくりだった…
そんな私と娘の不登校のお話です。
当時の気持ちを思いだすため・整理する為に書いてみたいと思います。
【小1の2学期】登校しぶりが酷くなりだした…
小さい頃からこだわりが強くて少し育てにくさも感じていた。
それでも、無認可の小さな幼稚園に3年保育で入園。
途中、登園しぶりもありましたが、子供のペースをとても大切にしてくれる幼稚園だったので、無事に卒園まで過ごすことができました!
そんな娘が小学校に入学。
我が子の小学校生活にドキドキ・ワクワクしていた私。
娘も『楽しい』と最初は通っていたのですが、給食がはじまると少し異変が。
『給食が嫌だ』と家で泣いたり、朝行きたがらない日もありました。
それでも、小学生ママ初心者の私は『休ませてはいけない!行かせなければ!』と思って、1学期はなんとか無遅刻で登校をさせていました。
泣いているのに背中を押して押して押しまくって行かせたこともあった。
今思うと…酷かったのかな。
学校まで送ってあげたりすればよかったな。
泣き止むまで待ってあげたら良かったな。
そんな余裕は小学校ママ初心者の私にはなかった。
2学期に入り、2日目から登校しぶり。
朝の出発時間に『行きたくない』と泣くんです。
どうしたものか…。少し家で様子を見ることにしました。
2学期は遅刻も増えた。
『行きたくない』と泣くことが多くなり、私も頭を悩ませました。
どうやら給食を先生に急かされたりして食べているようで…(嫌いなものがあると食べるのが遅いので)それが負担となっていたのかな。
当時は
- 先生から何度も電話が来るのが苦痛
- 行く・行かないでグズグズされるのが疲れる
- 行くか行かないかわからないので、予定がたてられない
- 家に子供がいるのがイライラする
という悩みが私自身にありました。
普通に行く日もあれば、朝嫌がる時もある。
行かないと先生から1日3回ほどの電話が。
『お迎えに行きましょうか?』と言われるのですが、お断りしていました。
【小1の12月ごろ】娘に異変が…
『行きたくない』と言われ受け入れる時もありましたが、ブチ切れてしまうこともありました。
私の中で不安・焦りといった気持ちがあったのでしょう。
『小1で不登校になってしまうことなんて…この先どうしたら…』
不登校の知識もない、不登校の知り合いもいない、不登校になったらどうしたらいいのだろうか。
2学期の終わり頃には
- 教科書を全部入れて学校へ行く
- お風呂場で泣き出す
- 寝る時も不安そうな顔
- 朝も辛そうな顔
といった感じで娘の様子が変わってきました。
さすがにお風呂で泣き出してしまうのは見ていて辛かったな。
この当たりから
- 学校って無理に行かせるものなのか?
- 行かなくてもいいのではないか?
- 娘の心が壊れちゃう
という思いが私の中で出てきました。
義務教育について調べると、
『親が教育を受けさせる義務があるということ。子供は教育を受ける権利がある』
と書かれています。
子供には休む権利もあるのです。
【小1の12月】担任との何度も無駄な話し合いを
電話・連絡帳では何度も何度もやり取りをしていました。
『どうにかして連れてきてほしい』という担任と、『こんなに嫌がるっておかしいのでは?』と疑問に思う私。
そんなある日、学年主任の先生と私がお話する機会があったので相談してみました。
その後『連れてきて!』と言っていた担任が『無理はしないように。』に切り替わりました。
担任と学年主任も話し合ったのかもしれません。
それから、
- 私と担任
- 私と担任と教務主任
- 旦那と担任と教頭
- 私と担任と旦那
12月は何度も学校へ足を運び面談が。
正直私は様々なことで担任への信頼を失っていました。
担任も私のことはよく思っていないようで『お母さんのせいで娘さんは学校へ行けないのでは?』とも言われました。
どんなに話しても同じ方向を向いていない私たちは、ただ無駄な時間をすごしていたように感じます。
立場が違うんだから思うことが異なるのは当然なのですが、毎回話し合いの後はモヤモヤし気分が悪かった。
今冷静に考えると、先生も必死に色々と頑張ってくれていたんだと思います。
そのやり方に、私が賛同できなかった。
そもそも見ているものが違うんです。
- 家で『行きたくない』と泣く娘
- 学校では普通
どっちも本当の娘。
小1の12月は、朝からちゃんと行ったのは1回だけ。
その他は欠席か遅刻。
遅刻して行くと『朝から連れてきてほしい』と連絡帳に書かれていました。
担任と娘の板挟みになり、私のストレスも限界に。
朝なんてこなければいいのに、ずっと土日ならいいのにと思っていた。
むしろ生きていない方が楽なのでは?とさえ思った。
私の1番のストレスは担任の先生でした。
娘が登校しぶりするのも疲れましたが、先生の全く理解をしてくれない雰囲気に心底疲れ果てました。
2学期の成績表は私がとりに行くことに。
その後3学期に向けての面談。
あの頃の自分、頑張っていたよ!偉い、偉い。
この頃の私の気持ち
娘の行きたくない気持ちをすんなり受け入れられる朝もあれば、イライラしてしまう時もあった。
なんとか説得して遅刻で行くことはありましたが、泣いている我が子を無理に引っ張っていくことは、この頃はありませんでした。
(1学期は少しやってしまった(^^;)
『学校行ってほしい・不登校になったら嫌だ』という思いは最初ありましたが、娘の様子が変わっていくのを見て『とにかく笑っていて欲しい』と考えるようになった。
この頃、月に1回熱を出していたし、夜泣きもしていた。
小学生のウツ病だってよく聞きますし、精神的に病んでしまったら大変!
今思うと、お風呂で泣いていたことなどは娘の必死の抵抗だったのかな。
小学1年生の中でも小柄な子だったので、抱えて連れて行くこともできたけどそれはしなかった。
私はそんなに心が広い人間じゃない。
頑張ってつれていこうとをすると疲れるので、とにかく行ける日は娘の気持ちが切り替わるのを待った。
それもそれで疲れるんだけど…。
当時登校しぶりについて相談できる人もいなかった。
そういったことを話すママ友はいましたが、その方だって不登校経験があるわけではない。
孤独だった。
この頃、アメブロで『不登校』で検索して先輩方の記事を読んでいました。
目が行くのは、嫌がる子供を無理やり連れて行っている方よりも、子供の意見を尊重している方のブログでした。
不登校の知り合いゼロだった私ですが、ブログを読むことで励まされていました。
不登校の子のお母さんも精神的に病んでしまう人が多いと聞きます。
孤独だもん、どうしたらいいかわからないんだもん…そりゃあ自律神経だっておかしくなるよ。
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